生産と消費を想う

最近、ファストファッションやファストフードに触れて思うことが多くなった。ユニクロは好き。着回しのきくベーシックなものや機能性素材を使ったアイテムは毎年買う。マクドナルドも好き。時間がないとき、時間を潰したいとき、なんか無性に食べたくなったとき、海外で食べ物に困ったとき。いつでもどこでも同品質を提供していることへの安心感は何にも代えがたい価値だと思う。

人間、一度「便利」や「安い」を覚えるとそうなかなか逆戻りは出来ない。それが技術の進歩によるものならば喜ばしいものだが、遥か遠くにいる「誰か」を犠牲にすることで成り立っているのだとするとそうはいかない。そんな事を考えているタイミングで、何が正しいかを考えさせられる事件がバングラデシュで起きた。

【参考記事】バングラデシュのビル倒壊事故、死者1000人超す

先進国の企業がコスト削減を強いた結果、多数の死者が出てしまったという非常に悲しいニュース。ただし、この視点の記事だけを読んでしまうと「ファストファッションは悪だ。」という考えに強く偏ってしまう。難しいのはファストファッションの進出によって同国に新しい雇用が生まれ、これまで地方の農場で働くしかなかった女性が新しい機会を得るに至っているという事実があることだ。

【参考記事】バングラデシュのために西側企業がすべきこと

物事はすべて一面では捉えられず、両面、もしくはそれ以上の視点から覗いてみなければいけない。その上で解決策を探る。当たり前のこと。最近は「もの」を買うときに色々考えてから買うようになった。「これはどこの素材を使っているんだろう?」「誰が作ったんだろう?」「品質はいいけど、安すぎはしないか?」・・・「もの」には最低限の対価が支払われるべきである。その支払われたものが、生産に携わった人たちに適切に分配されるべきである。そこが歪むと、世界が歪む。

先日見た『ブラッド・ダイヤモンド』はその歪みの極端な姿を見せてくれた映画だった。ダイヤモンドを扱う知人の会社は「どこで採れたものか分かるダイヤモンドしか扱わない。」とのこと。これが今求められる企業姿勢だと思う。

「もの」が簡単に世界中を行き交うようになった今、消費者が生産過程を意識してアンテナを立て、企業への情報開示をプッシュするしかない。現実的に分かり得る情報は限られているが、買う人が変わらないと、変わらない。果てしないテーマすぎて、ちっぽけな自分が考えている意味すら危ういが、自分のビジネスや生活を通して小さな実践をしていこうと思う。

昔、お世話になった社長からよく聞かされた話。「桶の中に溜まった水をクルクルかき回しても最初はほんの小さな揺れにしかならない。でもかき回し続けるとやがて大きな渦になって周囲を巻き込むんだ。」真実だと思う。地道にクルクルしよう。

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