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「RE」を徹底して「RE」を伝える

リサイクル、リユース、リペア、リフォーム、リメイク・・・世の中に「RE」が付く言葉が随分増えた気がする。大事なことだとは分かっていつつも、手間がかかる。企業も古いものを再利用するより、新しいものを作った方が簡単で儲かる。僕もRE業界に携わる人間として、アンテナ張っているから、人よりはそんな情報を取り入れていると思う。

最近見たニュースはこれ。「テラサイクルはリサイクルできないものを再生する」
http://m.huffpost.com/jp/entry/3697743

同社の社訓は「廃棄という考えを捨てよ」創業10年で年商2000万ドル、もちろん黒字経営を続けている。ゴミが出ないらしい。すごい会社だ。

最近読んでいる本「里山資本主義」にも面白い事例があった。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38604

林業において生まれる端材をペレットと呼ばれる燃料に加工し、灯油やガスと同程度のコストで運用可能なストーブに使う。これを地域で一丸となって進めている岡山県真庭市ではこんな声が飛び交う。「廃棄物じゃない、副産物だ」「全部製品なんだ、まるごと木を使うぞ」

こんな企業の事例を見ていて「こりゃいかん、ウチも動かなきゃ」と思って最近動き出したことがあるので報告。というか、今後も継続しているかどうか見張ってもらうための自分を追い込むための宣言としてこのブログに残す。

僕の働くTADFURという会社では、デザインが古くなってしまって着られないままになっている毛皮のコートをリメイクし、今のファッション感覚でも着られるようなデザインに作り変えている。素材としての毛皮の素晴らしさは、何といっても再利用に向いている点である。生地やレザー素材と違い、表面に「毛」があるため、切って縫って切って縫ってを繰り返しても糸が毛に隠れてしまい、表面上どこが切れ目だか分からない。(※毛の向き・長さ・色を合わせるため高度な職人技が必要だが。)

ミンクを代表とするイタチ科の毛皮はとにかく丈夫である。ウチに持ち込まれるコートの多くは購入から2〜30年を経過しており、たまに50年近いものも出てくるが、保存状態が良いとリメイクに耐える。そんな可能性を秘めたコートがたくさんの家庭で眠っている。その傍ら、安くて品質の良くないコートが世の中大量に出回っている。これらの多くは長期間使うに適していない。皮面が硬化して破れ始める、毛が抜ける、毛が折れて戻らない・・・ヘタをすれば1シーズンでもう着れなくなるものすらある。販売する人の多くはそんな事も知らずに売っている。

僕のミッションには、単に毛皮を直し、家業を継続するだけではなくて、この「知られていない」事実を啓蒙していく事も含まれているのかもしれない。この悲劇と向き合うようになってから、マインドが変わった。ものを買うときの基準が変わり、無駄なものは買わなくなった。要らないなと思った時に、もう1度何かの方法で使えないかな?と考えるようになった。

毛皮の再利用を考えることで、その他全てのものを大事にするようになった。自分自身の変化を活かして、このマインドをより多くの人に広めていきたいし、これこそ日本人が海外に輸出できるものなんじゃないだろうか?自分のミッションが固まってきた。

ここまで思考が進んでいった時に目についたのは、日々のリメイク作業で生まれる毛皮の端切れだった。基本的には全てお客さんに返却するが、「TADFURさんで活用してください」と残して頂くケースも多い。しかし創業46年の蓄積は大きく、止む無く定期的に処分せざるを得ない。

自分の掲げたミッションに立ち向かうためには、上で挙げたテラサイクル社や真庭市のような徹底さが必要だ!!やり尽くしている姿勢を持って応援してもらえる会社にならなきゃ。早速、自分の知りうる限りのクリエイターさん、アーティストさん、信念持って「ものづくり」をしている人達に声を掛けて、毛皮の端切れを使った「何か」を作って貰えないかと依頼してみた。

思いの他、反応は良く、皆さん喜んでくれた。それがとにかく嬉しかった。僕らにとっては価値を失ってしまったものでも他の人から見ると「なかなか手に入らないもの」になる。こんなことに今まで気づかなかった。そして出来上がった第一作品がコレ!

Product "Moscow" - Clock with recycled mink decoration. Designed by Masaki Kato / PUDDLE INC.

Product “Moscow” – Clock with recycled mink decoration. Designed by Masaki Kato / PUDDLE INC.

2013年8月4日、藤沢の無印良品4F「IDEE GARAGE」にてデザインユニットPUDDLEと共同で制作実演をさせて頂き、世界の都市クロックシリーズ「MOSCOW(モスクワ)」が完成。無印良品で傷があるなどの理由で販売できなくなってしまったB品と、毛皮リメイクで余った端切れ、どちらも処分される運命だったものを掛け合わせた作品。

その他の写真はこちら
2013-08-04 IDEE GARAGE

一点物の中の一点物。素材も、作った人も、場所も、いつもと違い、もう同じ物はできない。でもその時、確かに「これを蘇らせて価値にしよう」という意思は皆が共有していて、一直線だった。その醍醐味を知り、やる事の価値を知ってしまったので、チャレンジは止まらない。既に次の企画がいくつも同時並行で走ってる。

安くて長持ちしない製品が増えることはどんな商品に関しても悲しいことだけど、特に皮革やレザー、動物の命を頂く素材に関してはより強く意識されるべきではないだろうか?

そんな想いを共有してくれる味方が業界を超えて増えてきた。そこには「儲ける」とは全く違う価値観があって、その使命を共有する連帯感もある。こんなテーマを僕に与えてくれた毛皮という存在に感謝して、今日もまた一歩!

続・生産と消費を想う

昨日「生産と消費を想う」を書いて、それをトリガーに文字にしておきたい事が山のように出てきたので続編として。

コスト削減のために過酷な労働を強いているのはファストファッションだけでなく、高価な商品を扱うハイブランドにも存在している話。服だけに限らずあらゆるものが低コスト生産を追求し、労働力と品質の最小公倍数を確保しようとする。止まらない。

その動きに「待った」をかけるキーワードが最近の僕の頭を占領している。いつからか耳にするようになったフェアトレード(Fair trade)という言葉は、生産者から安く買い叩くのではなく、公正な値段で買い取る貿易のこと。代表的なものとして珈琲豆やチョコレート、綿(コットン)などが対象に挙げられる。

日本ではPeeple Tree(代表:サフィア・ミニーさん)やMother House(代表:山口絵理子さん)という企業が早くから立ち上がり、フェアトレードをファッションの領域で広げている。しかも品質を無視した「フェアであればOK」という考えではなく、生産地に赴いて生産指導をし「先進国で売れるもの」を作るという本物の支援がコンセプト。

エコ(Ecology)・ロハス(Lohas)・スロー(Slow)・サスティナブル(Sustainable)・オーガニック(Organic)・・・それっぽい言葉が乱立している。でも、エコバッグを大量に生産して販売するといった、本来の意味を失い言葉だけが一人歩きするような事例は後を絶たない。上記のような一部の本気な人達の行動を除けば、いいようにビジネスに使われているだけなのかもしれない。

その語彙の中に、最近また1つ新しい仲間が加わった。エシカル(ethical)。英語で「倫理的」「道徳上」という意味の形容詞であり、これを冠につけた「エシカル・ファッション」や「エシカル・ジュエリー」という言葉が欧米を中心に広がっている。階層で表すとすれば、エシカルはフェアトレードを包括する、もっと概念的な表現。このエシカルという概念を日本で広げようという人が増えている。

情報発信やイベント運営を行うETHICAL FASHION JAPAN(代表:竹村伊央さん)、エチオピアのシープスキンを使った高級バッグブランドを展開するandu amet(代表:鮫島弘子さん)の活動が目立つ。気づけば、ここまで挙げてきた4社の代表は全て女性。andu ametの鮫島さんのTweetにすごく共感する点があったので紹介したい。

人は多くが生産者であり消費者だ。誰かの子供であり誰かの親になる。生命を奪う立場にありいずれは死ぬ存在である。常に両側面から物事を捉え、考えることから逃げてはいけない。思考停止して、自分の意見だけを押し付けるようになったとき、最終的に何が起きるかは歴史が証明してくれている。

僕も自分のテーマである毛皮とどう向き合っていくのかについて、一生戦い続けるものだと思っている。毛皮は色々なイメージを人に与える。極端に嫌う人がいて、極端に好く人がいる。僕はその中間にいる。だから考える。毛皮以外の事も比較対象として考える。普通に生きていたらここまで思考を深めるに至らなかったと思う。だから僕は毛皮の存在に感謝している。

生産と消費を想う

最近、ファストファッションやファストフードに触れて思うことが多くなった。ユニクロは好き。着回しのきくベーシックなものや機能性素材を使ったアイテムは毎年買う。マクドナルドも好き。時間がないとき、時間を潰したいとき、なんか無性に食べたくなったとき、海外で食べ物に困ったとき。いつでもどこでも同品質を提供していることへの安心感は何にも代えがたい価値だと思う。

人間、一度「便利」や「安い」を覚えるとそうなかなか逆戻りは出来ない。それが技術の進歩によるものならば喜ばしいものだが、遥か遠くにいる「誰か」を犠牲にすることで成り立っているのだとするとそうはいかない。そんな事を考えているタイミングで、何が正しいかを考えさせられる事件がバングラデシュで起きた。

【参考記事】バングラデシュのビル倒壊事故、死者1000人超す

先進国の企業がコスト削減を強いた結果、多数の死者が出てしまったという非常に悲しいニュース。ただし、この視点の記事だけを読んでしまうと「ファストファッションは悪だ。」という考えに強く偏ってしまう。難しいのはファストファッションの進出によって同国に新しい雇用が生まれ、これまで地方の農場で働くしかなかった女性が新しい機会を得るに至っているという事実があることだ。

【参考記事】バングラデシュのために西側企業がすべきこと

物事はすべて一面では捉えられず、両面、もしくはそれ以上の視点から覗いてみなければいけない。その上で解決策を探る。当たり前のこと。最近は「もの」を買うときに色々考えてから買うようになった。「これはどこの素材を使っているんだろう?」「誰が作ったんだろう?」「品質はいいけど、安すぎはしないか?」・・・「もの」には最低限の対価が支払われるべきである。その支払われたものが、生産に携わった人たちに適切に分配されるべきである。そこが歪むと、世界が歪む。

先日見た『ブラッド・ダイヤモンド』はその歪みの極端な姿を見せてくれた映画だった。ダイヤモンドを扱う知人の会社は「どこで採れたものか分かるダイヤモンドしか扱わない。」とのこと。これが今求められる企業姿勢だと思う。

「もの」が簡単に世界中を行き交うようになった今、消費者が生産過程を意識してアンテナを立て、企業への情報開示をプッシュするしかない。現実的に分かり得る情報は限られているが、買う人が変わらないと、変わらない。果てしないテーマすぎて、ちっぽけな自分が考えている意味すら危ういが、自分のビジネスや生活を通して小さな実践をしていこうと思う。

昔、お世話になった社長からよく聞かされた話。「桶の中に溜まった水をクルクルかき回しても最初はほんの小さな揺れにしかならない。でもかき回し続けるとやがて大きな渦になって周囲を巻き込むんだ。」真実だと思う。地道にクルクルしよう。